ミスト
年 | 2007年 |
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時間 | 125分 |
監督 | フランク・ダラボン |
激しい嵐の翌日、湖に霧が立ちこめていた。湖の畔に住むデヴィッドは幼い息子ビリーと隣人のノートンの3人でスーパーマーケットへ買い出しに行く。やがて霧はマーケットも覆い尽くすが、霧の中に何かがいる? 店員が何かに襲われ、客たちは外に出られず、得体の知れないものに取り囲まれる恐怖や猜疑心で店内は騒然となっていく。デヴィッドはどうすれば霧から逃れられるか考えるが…。
WOWOWプラスで流していたので見てみました。何かで有名らしいと言うことしか知りませんでしたが、ラストまで見て何故有名と言うか物議を醸す作品なのかが分かりました…(怖。なお、原作はスティーヴン・キングの短編小説。
最初は心理パニックものかと思って見てたら、襲ってくる"何か"が具体的に描写され出した時点で「え、そっち?」と一瞬焦り、終盤直前などは「怪獣ものかよ!?」と唖然としたシーンがあったものの、見終わってみたらやっぱり心理パニックものでした(汗。スーパーマッケート内の面々に癖のある方が多く、"あり得ない現実"を受け入れられなくてデヴィッドと対立するノートン、狂信に陥るミセス・カーモディ、彼らが起こす人々の心理への影響、自分ならあの場にいて自分を保てるのか、誰かの影響下に入ってしまわないか、いろいろ考えさせられます。
話の構成と展開はホラーパニックとしていい出来。デヴィッドはイラストレーターなのですが、彼のアトリエに内容を暗示するようなイラスト(遊星からの物体Xなど)が何点か飾ってあって、その方面に詳しい人なら楽しめるちょっとした遊びあり。怪物描写が必要以上に気合い入りすぎていて、モンスターパニックと間違えてしまいそうなところは善し悪しですかね。
で、問題のラストですが、主人公の行動に納得できるかどうかで評価は別れてきそうです。衝撃の展開ではありますが、もうどう言ったらいいか分からない後味の悪さも引きずる。気になる方はここで引き返して自分の目で確かめてみることをお勧め。
私はかなりもやっとしたので、原作と映画ではラストが違うらしいと聞き、原作小説も読んでみたところ確かに違いました。個人的には原作の方が好き。以下、原作との比較もやってますので原作のネタバレも含みますのでご注意下さい。
<ネタバレ>
霧の中に何かがいるらしいとなった時、1人の女性が家に残した子どもたちが気がかりで助けを求めるが、誰も助けてくれないので1人で店を出て行ってしまう。その後倉庫で店員がシャッターの隙間から入ってきた巨大な触手にさらわれる。ノートンはその話を信じず、数人の仲間と店を出るが、彼らの1人が凄惨な姿に。夜になると虫みたいな怪物が多数店内に入ってきて犠牲者たくさん。幼いビリーにはそれはもう恐かったと思いますが、この時ビリーがデヴィッドに言った台詞にちょっと引っかかった。
「ぼくを怪物に殺させないで」
子どもにしては妙に持って回った変な言い回しだなと思いました。ここはもっとストレートに「怖い」「死にたくないよお」じゃないの? ビリーの台詞の唐突感に違和感を覚えつつも話は進み、狂信者ミセス・カーモディ一派の狂った生贄騒ぎからビリーを守るためデヴィッドは数人の仲間と店を出ることに。
しかし車のガソリンが切れても霧は晴れず、絶望した5人の前には4発の弾が残った拳銃が。…いやまさか自分の手で息子を…なんてしないよね?とギョギョッとしたものの、本当にやってしまった…。弾は1人分足りなかったので、デヴィッドは怪物に殺されようと車の外に出るが、そこへやってきたのは軍の救助隊という最悪の結果に。もう少し待っていれば5人全員助かったのに! しかも最初に店を出て行った女性は子どもと共に救助されていたという皮肉。これはやりきれませんて。
小説との比較
私が小説を読んでみようと思ったのは、ビリーの「ぼくを怪物に殺させないで」が小説にもあったかどうか確かめたかったから。小説と映画はラスト以外はほぼ同様の展開ですが、小説にはそんな台詞ありませんでした。これにより、この台詞は「父が息子を殺す」を実現させるための映画オリジナルの台詞だったことが分かりました。どうりで違和感を感じたはずです。ビリーのキャラを無視して映画ラストのために言わせた台詞だったのだから。あの台詞がなければデヴィッドは間違いなくあのラストを選んではいない。
小説ではデヴィッドは車で走り続けています。デヴィッドたちが助かったかどうかは分かりません。でもデヴィッドがビリーために希望を持ち続けていることは分かった。大切なのは結末ではなくて希望を持ち続けること。小説は希望を捨てない男の物語。映画は希望を捨てた男の物語。
映画は「だから希望を捨てちゃダメだ」な気分にさせてはくれますが、それでもやりきれなさの方が上回るのは、やっぱり「親が子を…」の部分にどうしても(個人的に・本能的に)納得がいかない、受け入れられないところがあるからだと思います。ビリーの台詞からこのラストに持っていくための作為を感じてしまったのも納得いかなさに輪をかけたかなあ。アイデアは秀逸だったと思うので、もっと無理なく自然な形で展開してくれたら感じ方も違ってきたのではと思いました。