ミスト ─スティーヴン・キング短編傑作集─
著者 | スティーヴン・キング |
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映画「ミスト」で気になったところを確かめたくて原作小説も読んでみました。短編集と言うことで、表題の他に4つの短編が収録されてます。ただ本書の大部分は「霧」が占め、他の4編は本当に短い。そこで短編4作を収録順に簡単に紹介した後でじっくり「霧」について感想と映画との比較をやってみたいと思います。ちなみにスティーヴン・キングと言うことで、どれも基本はホラーです(とあらかじめ断っておく^^;)。
ほら、虎がいる
7頁弱の本当に短いショートショート。白昼夢みたいな話で、キング流学校の怪談みたいな感じ? トイレの花子さんならぬトイレの虎さん。
ジョウント
これは面白かった! こういうの大好きです! 瞬間移動(テレポーテーション)装置を扱ったブラックSF。私の感覚ではこれはホラーではなくて完全にSFですね。アイデアの使い方が秀逸で、SFならではの結末がたまりません~。SF好きにもお勧めです。
ノーナ
1人の青年が独房の中で自分が犯した罪を手記にしている。ただし手記は彼の視点で書かれており、別の見方も出来る(彼の心理も含め考察の余地が大きい)ところがポイント。
カインの末裔
これも8頁の短編であっという間に終わってしまう。あまりにあっという間で、私なんぞは理解が追いつかないまま「え?」で終わっちゃいました。銃犯罪を扱った話ですが、背景に聖書と銃社会があるので、その辺に馴染みがあるかどうかで恐怖の感じ方は変わってきそう。
霧
大嵐の後、謎の霧が発生し、霧の中にいる何かに人々が襲われる。息子を連れてスーパーマーケットへ買い出しに来たデヴィッドはマーケットの外へ出られなくなり、他の客たちと恐怖の体験をすることになる──。
本書のメインで映画「ミスト」の原作です。短編と言うより中編と言った分量で、謎の霧に襲われた人々の恐怖パニックがメイン。マーケットの中で恐怖に直面した人々の様々な人間模様が描き出されるのですが、小説のデヴィッドはどちらかと言うと周りの人々の反応をつむぐ語り手の立場でリーダーというわけではないですね。話の流れは映画とほぼ同じですが、狂信者ミセス・カーモディに対抗するリーダー役の人は別にいて、映画でデヴィッドがやっていたかなりの部分は実は他の人がやってます。
小説は文字だけなので、怪物は読み手の感覚で好きなように想像できるのがいいところ。映像のインパクトに引きずられることなく本作のメインである心理パニックとじっくり向き合うことが出来ます。映画とラストが違いますが、今作がやりたかったことは主人公の絶望を描くことではなく、恐怖に出会った人々の心理パニックを描くことだったのと思うので、小説のラストで正解だと思います。以下、映画のネタバレも含むのでご注意下さい。
<ネタバレ>
小説の世界では軍の救助も出現せず、世界中が霧と霧の中の怪物にやられてしまっているような描写。その点では世界は絶望の状態にあると言える。しかし主人公は希望を捨てずに前に進む。映画では軍が霧と怪物を倒していくので、結局は主人公が絶望を味わっただけで世界は救われるような描写。つまり小説と映画では絶望と希望が逆転してるのですね。では小説では主人公はどうやって希望を持てたのか? それを書き出してみます。
- 妻の生死は不明。
- 怪物は「匂い」に反応する。
- ラジオで何か「一言」を聴いた。
1.があるので、主人公は無闇に自決の道を選ぶことはないと思われる。確率は低いが妻が生き延びている可能性はあり、それが希望の1つになるから。
2.が重要で、主人公はこれまでの経験から「匂い」を出さなければ襲われないことを知る。自動車の中とか、窓や戸を全て閉め切って外へ人間の匂いを出さなければ大丈夫。つまり(小説ではそこまで書かれてないけど)シェルターのような所で暮らし、移動は車、外へ出る時は防護服や宇宙服みたいな「匂い」を出さない服を着ればOKということになりますよね。「匂い」に気付くのは主人公だけではないだろうし、気付いた人たちが集まって対策を立てることも出来るだろう。そこまで分かれば生き延びる希望は十分。
3.はそれを裏付けている気がする。生き延びている誰かがいる可能性がある。
小説と映画を見比べて、世界が絶望でも主人公が絶望でなければ救われた気分になり、世界が救われても主人公が絶望だと救われない気持ちになることに気付きました。世界がどうであるかより、人がどうであるかの方が実は重要なんだなと思い至った次第です。映画で気分が悪くなった人は小説も読んでみるといいと思います。