ブレードランナー

ブレードランナー ファイナル・カット BD

1982年
時間 116分
117分(ファイナル・カット版)
監督 リドリー・スコット

近未来、レプリカントと呼ばれる人間そっくりのアンドロイドが作られた時代。彼らは宇宙開拓の現場で使われていたが最新のネクサス6型レプリカント6体が逃走し地球に逃げ込んだ。逃げたレプリカントを見つけるためブレードランナーだったリック・デッカードが呼び戻される。デッカードは手がかりを辿りながら彼らの痕跡を追うが、レプリカントたちの本当の目的とは…。

すごく有名な作品なのに実は映画館で見ていません。どころか存在を知ったのも公開から大分経ってからじゃないかな。原作は「アンドロイドは電機羊の夢を見るか?」ですが、原作を読んでから映画も見てみたくなってDVDを借りたのが初鑑賞。その時の感想は「アンドロイドハンターvs逃亡アンドロイドの部分だけ借りてきてほとんど別物になってる」でした。その後CSで録画してファイナル・カット版を手に入れましたが、見直してみてもやっぱり別物ですね。

原作の動物飼うのがステータスとかマーサー教とかは2時間映画にそこまで盛り込むのは難しいと思うので削られたのは分かりますが、作品の要であるレプリカント(原作ではアンドロイド)の根本設定が違っている。映画のレプリカントは原作のアンドロイドよりも圧倒的に人間らしい。ほとんど人間と同じ。てかもう人間でいいよ。これはもうクローンをレプリカントという言葉で置き換えてるのと同じレベル。

映画のレイチェルには好感が持てる。自分がレプリカントだと知らなくて、それまで信じていた自分のアイデンティティーが崩れて苦しむ姿には哀しさと切なさを感じました。映画のデッカードは独身みたいなので(原作では妻帯者)、この成り行きも自然で応援したくなります。

話題になったらしい未来都市の様子は2008年(初鑑賞時)に見ても面白いと思った。東洋とのちゃんぽん描写の不思議世界感。「強力わかもと」は強烈ですね(笑。なお、作中では2019年になってますが(今年じゃん←記事投稿時)、まだまだ車は空を飛びそうにないし宇宙開拓もレプリカントもまだ先のようですから、これは近未来なのだ~と脳内変換して鑑賞すべし。

<ネタバレ>

レプリカントの目的は「もっと生きたい」だった。ネクサス6型は寿命が4年しかない。寿命を延ばすために地球へ来たのだった。ロイはレプリカントの設計者であるタイレント社のタイレル博士に会うのに成功するが、寿命を延ばすのは不可能だった。この時ロイはプリスの延命を願っていたので、レプリカントは他者への思いやりを持てることが分かる。生命を創り出してしまったら人はどうするのか──というのは今もこれからも永遠の課題ですね。

ところで、映画ではデッカードはレプリカントかも?な説があるようですが、私はデッカードは人間であると断言します。何故ならラストのロイの語りを聞くのは人間でなくてはならないからです。デッカードがレプリカントだったら、レプリカントがレプリカントに訴えたことになり、話もテーマも意味をなさなくなる。それにロイがデッカードがレプリカントだと知らず人間だと思って訴えたならロイはただの道化じゃないですか。それはあんまりでしょ。それに今作は人間がレプリカントを好きになったことに意味があるんだから、誰が何を言おうと(それが監督でも)、デッカードは人間でなくてはならないのです。

なおユニコーンの折り紙についてですが、ユニコーンは架空の動物=架空の生命=レプリカント=レイチェルとも解釈できるので、あれはガフがレイチェルを見逃してくれたことを知らせるためのものと考えればいいと思います。レイチェルが逃げ出した時、ブライアントはレイチェルも処分の対象に入れた。しかしガフはレイチェルを計算に入れずにデッカードに仕事の終了を告げた。それはレイチェルが短い命をデッカードと過ごせるようにしてくれたガフの優しさを表したもの。ユニコーンの夢については、あの世界ではユニコーン=レプリカントを連想するものだとすれば、デッカードがレイチェルを好きになる暗示と解釈できるし、ガフがデッカードの夢を知らなくてもユニコーンでレイチェルを示した説明がつきます。

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