LUCY/ルーシー
年 | 2014年 |
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時間 | 90分 |
監督 | リュック・ベンソン |
人間の脳は10%しか使われていない──? 普通の女の子だったルーシーは台北でマフィアの闇取引に巻き込まれ、薬品密輸の運び屋にされてしまう。だがお腹に入れられた薬品の袋が破け、体内に薬品を取り込んでしまったおかげで急激に脳が覚醒し始めた。超人的な力を得て脱出したルーシーは脳科学者のノーマン博士に連絡を取る。覚醒率20%、40%、60%、あらゆるものを感じ取りどんどん覚醒するルーシーの行き着く先は…?
人間の脳が10%しか使われておらず、脳が全部使えるようになれば超人的な力を得られる──というのは昔からある迷信で、実際には脳は全部使われているというのが最近の定説になっています。脳の研究がまだ進んでいない時代に未知部分への期待から生まれた願望ですね。かつては石ノ森章太郎がこの説が好きでよく使っていました。「サイボーグ009(1964年)」のイワン(001)は脳の機能を全て使えるようにする改造で超能力を得たという設定。「リュウの道(1971年)」の主人公リュウも脳の未使用部分を全開にすることで覚醒し新人類に進化するという設定。石ノ森作品では「脳100%で超人化→神化」はデフォで、もはやこれさえ出せば何でも出来る魔法の箱状態だったですね。
しかし時代が経って「脳10%説」は終わった。今となってはもう古い時代遅れの説。だから「ルーシー」を知った時は、「えっまさか今時こんな古い迷信で映画作るって本気!?」と驚いたものです。一方で、今の時代にこの古い説をどう処理するのか、興味もわきました。
科学的にどうかはさておき、ルーシーがどんどん能力アップしていく描写は面白かったですね。スカヨハの演技もよくて、最初は普通の女の子なのに、覚醒するにつれ表情や反応がどんどん変化していき、知識や能力がアップする代わりに人間的な面が薄れていくところも。マフィアたちのやられっぷりも滑稽で面白い。全体に無駄なくテンポよく楽しめて、エンターテイメントとしては十分な出来だったと思いましたが…。
<ネタバレ>
100%に達したルーシーは肉体が消え、全てを超越した神のような存在になる。しかしそこまで行ってしまったらもう人間じゃない。神の力を得ても、感情も野望もなく、その力を使いたいと思う気持ちさえなくなってしまったら、それはもう「無」と同じだよね…と思ってしまった。結局はメモリを残してルーシーはいなくなったと同じか。ただノーマン博士の言っていた「細胞は環境が悪いと不死を選び、環境がよいと繁殖を選ぶ」という考えは面白いと思った。ルーシーの不死化にもつながってるし。
しかし本作の前提は古い迷信のままで、「脳10%説」を捻りなくそのまま使ってました。SFでないならともかく、さすがにSFで科学的根拠に迷信を使われるのは困る。前提が間違っていては以降が成立しない。せめて時代に合うなにがしかのアレンジや修正があればよかったが、それもなかった。
そもそも本作に「脳10%説」は必要だったのか? 単に「脳にはまだ知られていない能力がある」とかでも十分ではなかったか。それなら迷信ではなく仮説として成立するのでSFとして問題なく使える。その前提で「脳から未知の力を引き出す薬」でルーシーが覚醒したという話でも本作は十分成立したと思う。%を使いたいなら薬の力が脳に広がっていく様子を20%、40%、60%と表現することだって出来たはず。その方がまだ説得力を持てたと思う。
映画としては面白かったし、超能力も超人化も神化も好きだし、宇宙とか時空越えとか超好みだし、超越したら消えるのもラストの「至る所にいる」も好き過ぎる展開だし、荒唐無稽・あり得なさ・ブッ飛び具合から突っ込みどころも含めて、「脳10%説」以外はとても楽しめた作品だった。それだけに惜しい作品でもあった。自分の頭の中では「脳10%説」は考えないことにして楽しむことにしますかね。