順列都市

順列都市(上)ハヤカワ文庫SF

著者 グレッグ・イーガン

人間のコピーが仮想環境で生きられるようになった近未来。売れないプログラマーのマリアはポール・ダラムという男から惑星のモデルを依頼される。余命宣告された母にコピーを残すお金が欲しかったマリアはポールの依頼を受けるが、それはポールが考案したとてつもないプロジェクトに使われるものだった。ポールは「塵理論」でハードウエアなしに永遠に生きられるコピーのための仮想空間を創ろうとしていたのだ。

「HELLO WORLD」を見たら「順列都市」を読み返したくなったので、紹介を兼ねて感想などを。脳神経レベルで人間のスキャンが可能になった時代という設定。スキャンされたデータはコピーと呼ばれ、コンピュータ内の仮想環境で暮らしてます。コピーはコピー元のオリジナルの人間と同じで、違いは生身かデジタルデータかだけ。コピーを残すことで死後もコンピュータ内で生き続けられる。

しかし「地獄の沙汰も金次第」なのは近未来でも同じなのが面白い。高額なスキャンを受けられない人間もいるし、コピーは残せてもハードにはお金かけられなくて、処理能力の低い非力な環境で細々としか動けない人も多数。一方金持ちは自分専用の高性能サーバーでセキュリティもしっかり金かけて優雅に死後の生活を楽しんでいる。格安のレンタルサーバーで細々とやってる私なんぞは今作の世界でも貧乏人クラスだな(^^;。

主要な登場人物は以下の方々。彼らのドラマが交錯していって最後は永遠の仮想都市「順列都市」に集約していくのです。

ポール・ダラム
持論の「塵理論」の証明に生涯を費やしている。塵理論で構築する「順列都市」を考案し、金持ちたちに売り込んでいる。

マリア・デルカ
バクテリアの育成ゲームにハマっていて、その成果を買われてポールに生命進化のシミュレーションが出来る惑星のプログラムを依頼される。

ピー、ケイト
スラム環境で暮らしてる貧乏コピーたち。昔のパソコンのようにゆっくりしか動けないので、1時間動いたら現実では何十時間も過ぎてるというウラシマ効果環境。彼らからは現実は猛スピードで走り去っていくように見える。速くは動けなくても遅くすることは出来るので、必要に応じて更に減速することもある。コンピュータの中と外で時間の速さが違うという発想がすごく面白いです。考えて見れば確かに現実と時間のスピードを合わせる必要はないものね。

トマス・リーマン
大富豪。自分専用のスーパーコンピューター内で優雅な死後を満喫中だが、誰にも言えない過去の傷がある。なお、彼の環境でもコピーは現実の1/17のスピードでしか動けないらしい。人間の脳神経モデルを動かすには膨大な計算量が必要なので、この世界のマシンではまだ現実と仮想の時間を合わせられるところまでは行ってないということのようです。彼から見ると現実の人間は早送り人形みたいなものなので、現実の人間が仮想環境のコピーと会話するのはなかなか大変。

しかしコンピュータ内で生きれば本当に夢の不老不死? どっこい、どんな素敵な仮想環境でも電源切られたらただの箱。金持ちへの反乱が起きないとも限らない。ネットサービスも永遠じゃない。ジオシティーズも消えた…。デジタルは儚い…。人間の気まぐれなサービスや物理的なハードウエアに頼っていたのでは永遠なんて来ない。そこで塵理論ですよ。

塵理論と宇宙開闢

塵理論とは、ざっくり言うと、塵で仮想コンピュータを構築してその中で仮想空間を作る…で、合ってるかな? それが出来るとしてどうやって塵に仮想マシンを?というところは、「HELLO WORLD」が具体的なイメージの助けになりました。動いているプログラムを強制終了させたら塵を材料にして別の宇宙が産まれ、そこでプログラムは途切れることなく動き続いていくという考え。「HELLO WORLD」で千古教授がアルタラを強制終了させたのがそれ。それで直実たちの世界は新しい宇宙になって続くことになる。本書では無限に自己複製して際限なく増殖するコンピュータモデルを強制終了させることで、無限に増殖していくコンピュータで無限のパワーを得て死のない永遠の世界を誕生させるというもの。そこはもう現実の干渉が及ばない別世界なので、平行世界が1つ誕生したという解釈でもいけるかな。

コピーとオリジナル

本作のテーマの1つが「自分を自分たらしめているのは何か」でしょうね。アイデンティティーへの問いかけみたいな。コピーはデジタルデータだから容姿などいくらでも好みに変えられる。老人で死んでも若い体になれる。美男美女にもなれる。人間を離れてクリーチャーにもなれる。性格も変えられる。そうやって姿も性格も人格も価値観も考え方も変えてしまったら、それは同じ人間と言えるのか。色々な人間になるのを楽しんでいたピー。過去の傷に執着し、死後もそこから抜け出せなかったトマス。ピーの達した結論とトマスが辿り着いた結論に答はあるのか。

*以下はラストのネタバレ含むのでご注意*

現実(物理法則) vs 仮想(不死)

マリアの作った惑星モデルではバクテリアが進化し知的生命(昆虫形態のランバート人)が誕生するに至った。だが物理法則を持つ惑星の住人たちには物理法則を持たない順列都市は見えなかった。これはそのまま人間と神の比喩にもなる気がする。不死の神々は天地と人間を創造した。だが人間には神は見えない。見えないものは存在しない。よって存在を否定された神(順列都市)は消滅する。この辺は人間原理みたいなところもありますが、物理世界と非物理世界の力関係みたいなものが示されたのは面白かったです。

存在とは何か

本作の一番のテーマがこれではないでしょうか。アイデンティティーも含み、存在するとはどういうことかを問うている。自分の存在を認識できれば、それは自分が存在していると言うことになるのでは? 「我思う、故に我あり」ですね。塵理論もそのためのロジック。バラバラの塵であっても、そこに「自分は自分である」と認識できるパターンがあれば、それは"存在"すると言えるのではないか。塵理論の中身は理解できなくてもいい。"存在"という命題を論理化してみたのが塵理論なのかと思います。

結局、ランバート人に負けて消える運命になった順列都市は"再発進"せざるを得なくなるのですが、これで「惑星ランバート」「再発進した順列都市」「ポールとマリアの新しい世界」「ピーとケイトの新しい世界」「恋人の命を救えたトマスの世界」の5つの世界が生まれちゃったのかな? 個人的にはトマスが自分にとっての答を見つけられたのがよかったと思う。それがトマスが本当に救われる道だったのだろうから。取りあえず皆さんのこれからに幸あれと祈る。

最後に地球(現実)が出てくるのにホッとさせられる。確かな"存在"を感じさせてくれるから。それが不死でなくてもいいじゃない、限りある命でもいいじゃないと思わせてくれるから。