あなたの人生の物語

あなたの人生の物語ハヤカワ文庫SF

著者 テッド・チャン

映画「メッセージ」の時間概念がよく分からない…と思っていたところ、通りかかった本屋で原作となった小説「あなたの人生の物語」を見つけたので買って読んでみました。おかげで少なくとも小説ではこういうことだったんだ!というのがやっと理解できました。以下、その感想とまとめなどを(本・映画のネタバレに触れてますのでご注意)。

あなたの人生の物語

読んでみてまず驚いたのは、映画で私を悩ませたシャン上将が出て来ないこと。映画で起こった戦争勃発の危機も本書にはない。だから本書のルイーズは未来からのカンニングも行っていない。それなら問題なく読み進められるわ!てことで、素直に理解に至りました。

まず原作ではエイリアン・ヘプタポッドが来た理由も去った理由も書かれていません。なぜならそれは本題ではないから。これはエイリアンの文字を習得することで認識が変容してしまった女性の物語。「認識の変容」こそが最大のテーマで、ヘプタポッドの役割はルイーズの認識を変容させることだけであり、その他のことは本題には関係ないからです。

ここで大切になるのがフェルマーの最小時間の原理で、光は常に最短のルートを通る。水中へ入る時も一番早く到達点に届く屈折の角度で進入する。つまり光は届く前から何処に到達するのか知っている。ヘプタポッドも会議が始まる前から会議の全容を知っている。その性質はヘプタポッドの文字にも表れている。ルイーズはヘプタポッド文字を解析することでヘプタポッド的思考をマスターしてしまい、それによりこれから起きることを先に知っているという状況になってしまった。ルイーズの中で「原因が結果を作る」というこれまでの認識が「結果も原因も同時に存在する」という違う認識に変わってしまったのである。

本作の未来は「起きるかも知れない未来」ではなく「既に存在する未来」である。過去に干渉するとタイムパラドックスが起きるので過去には干渉できない=過去は変えられない。同様に未来に干渉してもパラドックスが起きるので未来にも干渉できない=未来は変えられない。そこには自由意志も選択もない。自由意志や選択が可能なのは未来を知らない場合であり、未来を知ることと自由意志は両立しない。ルイーズは未来を知る力を得るのと引き換えに自由意志を失ったのだ。だから、ルイーズは「娘が死ぬと分かって敢えてその未来を選択」したのではない。ルイーズには娘を産まないという選択肢はないのだ。娘を産まなければ娘が死ぬ未来はやってこないから、娘が死ぬ未来を来させるためにルイーズは娘を産まなければならないのである。その境地はまさに「原因が結果を作る世界」にいる者には計り知れない。

ただ来たるべき時までぼーっと無為に過ごすのか、過ぎていく時間の瞬間全てを慈しみ大切に心に刻みながら過ごすのかでは充実感は全く違ってくると思う。ルイーズは娘をつくる時、これから過ごす時間が歓喜になるのか苦痛になるのか、最小と最大のどちらを成就するのか考える。決まった人生でも過ごし方次第でそれは良くも悪くもなるのではないだろうか。そう思うと一刻一刻が愛おしくなります。

本書は短編集なので、表題作を入れて8つの物語が入ってます。以下、他の作品についても簡単な感想などを。

バビロンの塔

天に届くバビロンの塔のてっぺんに登って天上に穴を掘る物語。世界の形が面白い。平面でも球でもなく、その形は…?

理解

事故で植物状態になった主人公は新しい治療薬で知能が向上、超人間に! しかし超人間はもう1人いた…!? 超人間どうしの凡人の理解を超える高次元精神バトルをどうぞ~。

ゼロで割る

妻=a。夫=b。妻は夫ではないし夫は妻ではない。故に「a=b」ではない。だから話はaの視点、bの視点の交互に進んで行く。だが数学者の妻が「1=2」を証明してしまい、妻の世界は崩壊。夫は妻を救ってやりたいが、数学者でない夫には妻の絶望は理解できない。そしてラストで「a=b」すなわち「妻=夫」になる構成が秀逸。数学は分からなくてもいいんです、「1=2」と「a(妻)=b(夫)」をかけているところを楽しめればいいんじゃないかと。

七十二文字

名辞とは何か。呪文みたいなものかなと解釈しました。無生物を動かせる呪文。そしてこの世界の精子と卵子の設定がまた独特。ほぼファンタジーですが、問題の解決方法は論理的と言うね…。

人類科学の進化

わずか4頁のショートショート。AI恐れるな、かな。

地獄とは神の不在なり

天使の降臨がほぼ自然災害。信仰とは盲目なり!?

顔の美醜について

人間の認識能力を変えられるようになった世界というのが面白い。見た目に影響されなくなるのはいいことなのか悪いことなのか。考えさせられます。

「あなたの人生の物語」目的で読んでみたけど、面白い発想とアイデアがいっぱい詰まっていた本でした。表題作もそうだけど、認識の変化を扱った話が多かったですね。私も"言語"への認識を変えられてしまいそうです。