ベンジャミン・バトン 数奇な人生
年 | 2008年 |
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時間 | 165分 |
監督 | デヴィッド・フィンチャー |
第一次世界大戦が終わった1918年、1人の赤ん坊が老人の姿で誕生した。老人ホームに捨てられた赤子はベンジャミンと名付けられ、老人ホーム経営者夫婦に育てられる。しかし少ししか生きられないと思われたベンジャミンは年と共に若返っていき、普通の人間とは逆の数奇な人生を辿ることになる。80歳で生まれたベンジャミンは人生の中間地点でようやく人並みの生活を送れるようになるが…。
老人で生まれて歳とるほどに若返っていくという設定が斬新。物語はベンジャミンの妻だった老女が娘に彼の日記を読ませるという形で綴られます。淡々と語られるベンジャミンの人生。その数奇な運命にいつしか目が離せなくなっていく。誰からも老人と見られてしまう子ども時代。周りの人たちが、中身は子どものベンジャミンに老人(人生を味わい尽くした大人)だと思って話しかけちゃうのが面白い。老人ホームの皆さんも味わい深い人たちでした。
でもそんな中でも、少女のデイジーだけはベンジャミンが自分と同じ子どもだと分かるんですね。子どもの勘、でしょうか。ベンジャミンも嬉しかったろうな、デイジーがベンジャミンにとって大切な人になっていくのも分かります。しかしデイジーとは歳の取り方が逆のベンジャミン。そういうすれ違い劇が胸にキュンとくる。
自分なりに精一杯生きたベンジャミンだけど、それだからこそ、好きな人と一緒に歳を取っていける、この当たり前のことがいかに幸せなことなのか、改めて感じさせられる作品です。そして、時間は巻き戻せない、過去には戻れない、起きてしまった事実を受け止めることの大切さも。子どもを捨てる身勝手な父親とか、捨てられた子を見た目に関係なく実の子同然に愛して育てる女性とか出てきますけど、やっぱり話の軸はベンジャミンの人と同じ時間を生きられなかった哀しさと切なさでしょう。
<ネタバレ>
第一次世界大戦で息子を亡くした男が逆回りする時計を作った。男は願う。時間を巻き戻せたら戦場に消えた者たちも生き返って幸せに暮らせると。男の時計が駅に設置されて時計が逆回りを始めた時、男の願いはその時生まれた子どもに出現した。逆回りの時間で歳を取る子ども。それがベンジャミン。だが時計職人の願いは正しかったのか。逆回りの時計と共に過ごさねばならなかったベンジャミン・バトンの人生にその答がある。ベンジャミンにとっては逆回りの人生は呪いに他ならなかったろう。役目を終えて取り外された時計が水に飲まれていく時、ベンジャミンの「時」からの解放を感じてホッとしたのは私だけだろうか。時計を逆回りさせてはいけない。現実を受け入れ、正しく時を刻もう。第2、第3のベンジャミンを生み出さないために。
ベンジャミンの父親は情けないやつでしたが、妻を亡くしたショックで異形の息子に耐えられなかったのかもしれない。それでも時々ベンジャミンの様子を伺ってはいたようです。ベンジャミンが大きくなってからどうにか名乗り出てくれて、そこでベンジャミンは自分の名字がバトンだと知るわけですね。
デイジーとの恋は切ない。最初の出会いはお祖父ちゃんと孫みたいだった。青年時代にデイジーのバレエを見に行った時もまだ父と娘ほどの開きがあった。人生半ばでやっとデイジーと「時」が揃う。ベンジャミンにとってはその瞬間が人生で最高の時だった。だがそれを境にまた「時」が開いていく。娘と一緒に歳を取れないのは辛いです。老いが止まらないのと同様に若返りも止まらないので、遠からず娘より若くなってしまう。そうなる前に去ることを決意するベンジャミン。
ベンジャミンの日記は彼が子どもとして保護された時に持っていたもの。見かけは少年でも中身は認知症の老人だから日記を書くことも出来なくなっていたけど、持ち続けることだけは忘れなかったのね。ベンジャミンの義妹(ベンジャミンを育てたクイニーの娘)から連絡を受けて、デイジーは彼の老後(幼児~赤ん坊)と最期を見届けることになります。
人々と同じ時間、同じ時を過ごせることを、当たり前に過ごせることを感謝したい。切なくて、でも心に残り続ける作品です。