サイボーグ009 超銀河伝説
年 | 1980年 |
---|---|
時間 | 130分 |
監督 | 明比正行 |
宇宙の深淵にあるという謎の超エネルギー、ボルテックス。それをコントロール出来れば宇宙を支配することも可能だと言われる。ボルテックスで宇宙征服を企む悪の帝王ゾアに001とボルテックス研究者コズモ博士がさらわれた。009たちはコマダー星から助けを求めに来たサバの宇宙船イシュメールでゾアの本拠地カデッツ要塞星を目指す。001たちを救い出し、ゾアの野望を止めるために、宇宙を舞台にサイボーグ戦士たちの戦いが繰り広げられる。
世の中には、他の人たちの評価がどうであっても自分にとっては至福のお宝!になる作品が存在するものです。私にとっては「サイボーグ009 超銀河伝説(略して超銀)」がまさにそうだっ!! 以下にその理由を述べる。
私が石ノ森章太郎のファンになったのはまだ少女の頃。何よりもまず「絵」に惹かれました。さらに詳しく言うなら「絵」を奏でる「線」に惚れました。だから石ノ森作品をアニメ化するなら、姿形だけではなく、「線」までも再現してくれないと私としては満足できなかったのです。その点では最初の劇場2作品(1966年・1967年)は私の満足基準には達していなかった。1968年のテレビシリーズも(リアルでは見ておらず何かの機会で数話見ただけですが)、これも残念ながら駄目。1979年に作られたテレビシリーズ2作目(ファンの間では新ゼロと言うらしい)はキャラクターデザインを芦田豊雄が担当し、原作に近いジョーと言うことで人気がありましたが、私的にはこれも駄目だった。確かに造形が原作に近いのは認める、でも違うのよ、あの「線」じゃないのよ、あれは芦田豊雄のジョーであって、石ノ森章太郎のジョーじゃないのよ!
アニメ化されてもアニメ化されても私の望むジョーが再現されないことに不満と苛立ちを抱えていた時、彗星のように現れたのがこの超銀だったのです。山口泰弘がキャラデザを担当したジョーを見た時は震えが走りました。これよっ、これがジョーよっ、しかも石ノ森章太郎しか不可能と思われた「ジョーの流し目」まで再現して下さっている!! もちろん厳密に言えば石ノ森章太郎のジョーと完璧に同じというわけではないですが、ここまで再現してくれたならもう十分だっ、例えストーリーが少々アレでも、ラストに賛否両論あろうとも、このジョー様の前では全ては雲散霧消するっっ!
かくして超銀は私の至高のお宝となりました。映画館だけでは飽き足らず、パンフはもちろん特集本、レコード、当時13800円もしたVHSビデオまで買い揃えたほどです(その後CDとDVDも入手)。私にとってはそれだけのお金を払う価値のある作品だったということなのです。なお本作では新ゼロで甘くなりすぎたジョーの性格がリーダー寄りに引き締められているのも好きなところ。涙流すジョーよりもシャキッとリーダーするジョーの方が好きなので。007に「命令だ!」と言うジョーが最高! こういうジョーが見たかったのよ~。
009たちが宇宙に出るお話なので、宇宙船の中の描写も多くなりがちですが、イシュメールのデザインは優雅で美しく、石ノ森章太郎らしさがある。イシュメールはけっこう回り込み描写が多く、色々な角度からの動きを見せてくれます。光の効果との相性もいい。キャラの演技は80年代節を感じさせるところもありますが、9人がけっこう過不足なく活躍出来る展開になってるのはよい。008は今作から新しいキャラデザになりますが、これは3作目のテレビシリーズにも引き継がれてます。
<ネタバレ>
カデッツ要塞に着く前にゾアの軍団と一戦交えてるので、イシュメールの修理と補修のためにいったんファンタリオン星に降りるのですが、そこでゲストヒロイン、タマラがお待ちかね。超能力って便利ですねー、状況説明しなくても分かってもらえるし、相手の心に触れられるからどんな人物かもすぐ分かって好きになれるし。おかげでタマラ、009に王になって!(アタシと結婚して!)と迫る、迫る(笑。でも心を読めるなら009と003の本心にも気付いてたはずで、断られるのは分かった上で自分の心を伝えることを選んだのでしょう。ジョーとフランソワーズもこれくらいかき回してくれる人がいた方が発展できていいのかもしれん(と思うことにする)。
カデッツ要塞に侵入するのに中性子星を利用するパルサー作戦は好き。サイボーグの特性を生かしたSFらしい設定で、ここは褒められていいと思う。せっかくサイボーグなんだから、こういうアイデアはどんどん取り入れていってほしいもの。009の加速装置は時々消えるのがそうですよね? この辺は009の見せ場なんだから、もうちょっと分かりやすく表現してほしかった。
ところで。ここで004が009たちを逃がすために自爆を選びます。004は体内に核爆弾を持ってる設定だけど、これまでに一度も使ったことはない。当然である、使ったら004が死んじゃうから。だからこれは使えない武器なのである。しかし制作陣も1回くらいは使ってみたくなったのだろうか。やっちまいましたよ、今作で。えーっ、そんなことしたら次からの展開に困らない!?と思っていたら、一応ラストで生還のオチがありました。個人的には戻ってきてくれてホッとした側ですが、これが物議を醸す今作の問題点となったのであります。
生還の理由には納得。ラストの結果はボルテックスの力があれば可能だから。ボルテックスと同化したゾアとジョーは、ゾアは力の吸収を望み、ジョーはゾアの滅亡と004の復活を願った。ゾアとジョー両方の望みが叶った結果、ゾアは力を吸収&滅亡し、004が復活したってことですね。
しかし004は生身で復活、ギルモア博士に再びサイボーグ化を頼む。そりゃそうならないと009シリーズが続かないので、そうなるしかないのは分かるけど、この展開を制作の都合ではなく観客視点で真面目に受け止めると「ハァ!?」になるのも分かります…。
今作はパンフでも解説本でも「超娯楽大作」が売り文句なので、ここはもうあまり考えすぎずに「娯楽」として楽しむのが一番の鑑賞方法ではないかと思います。キャラ絵の出来はいいので、好きなキャラを楽しむくらいでよろしいのではないかと。ジョー様のお顔のためだけにVHS代はたいた人間もここにいるのですから。ジョー様~!! いいのよ、超銀はこれでいいのっ(笑。