ベン・ハー

1959年
時間 212分
監督 ウィリアム・ワイラー

紀元26年。ユダヤはローマの支配下にあった。イスラエルに住むユダヤ王族のジュダ・ベン・ハーは新しい総督を襲撃したと誤解され、母・妹共々無実の罪で捕らえられる。ジュダは奴隷としてガレー船に送られるが、ローマ海軍のアリウスを助けたことから奴隷を脱し、母と妹を探すためイスラエルに戻ってくる。そこでジュダは彼を捕らえたメッサラと戦車競争で勝負することになるのだが…。

子どもの時、親に連れられて見た映画。日本公開は1960年だったようですが、それでも私が見るのは無理だったのでリバイバル上映での観賞だと思います。キリストが出てくるので、親には「十戒」と同じような興味や感心があったのかも。実際私も終盤当たりの記憶が「十戒」とごちゃ混ぜになっていたところがありました。ベン・ハーと言えば戦車競走!というイメージがあるかも知れませんが、子どもには戦車とキリストがどう関係あるのかよく分からなくて、キリストの謎?の方が頭に残ってしまったようです。

こんな状態ではとても「見た」とは言えないな…と思い、ムービープラスで流してくれたのを機に録画してちゃんと見直してみることにトライ。そしたらキリストの誕生シーンから始まったので(この辺はさっぱり忘れていた)、ジュダが災難と闘う様子をを通してキリストの一生をなぞっていたのだと分かりました。そうか、これ最初からキリストの話だったのか…。

子どもの時の私がジュダの話にどうしてキリストが混ざってくるのか混乱したのは、今作のキリストは一貫して顔を見せない演出が行われていたせいかなと思います。手だけとか後ろ姿だけどか、正面の場合は遠方で顔がよく分からなかったり顔だけ影になってたりで、これではジュダに関係するキャラとして意識し難い。キリスト教圏の人にとってはキリストは「神」だから、安易に顔出しして「その辺の兄ちゃん」になるのを避けたのかなと思いますが、子どもにはちょっと分かり難かったですね。

ジュダの話は基本復讐劇。大人になってから見ると、ジュダもメッサラと癒着しとけばよかったじゃん…と思わなくもない(私も育って純粋さがなくなったかしら^^;)。でも子どもには民族への純真さを見せるジュダは入りやすいキャラでした。戦車競走は確かに見どころ。CGがない時代の本物の迫力です。

<ネタバレ>

親友と敵対関係になるのは定番とも言える展開ですが、1959年作と言うことを考えれば今作が走りだったのかも。メッサラがイスラエルに赴任して幼馴染みとの再開を喜ぶジュダ。メッサラはジュダの妹ティルダを意識してるようであり、ティルダもメッサラが好きみたいでいい雰囲気だったのに、ジュダがメッサラの頼みを承諾しなかったために決裂、暗転。以降メッサラがジュダの宿敵に。

ガレー船に連行される途中、ジュダは誰かから水をもらって生き延びる。それがキリストだったのは後になってから分かる。ガレー船の内部の様子は興味深かったです。漕ぐためのリズムを取ってる人がいたけど、あの人も奴隷と同じくらい疲れるんじゃないかしら…と余計な心配をしてしまった。ガレー船どうしの戦いは模型だと分かりますが、私が見た当時ならそこまで気付かないくらいの出来映えだったんじゃないかな。

ガレー船にいたローマ海軍のアリウスがいい人で、早くからジュダの存在感に気付いてた。アリウスが鎖を解かせなかったらジュダも助からなかったわけで、これはお互い命の恩人だったのでは。アリウスはジュダを奴隷から養子にまでしてくれたのだから、アリウスの恩に報いる展開もあってもよかったんじゃないかなあ。戦車競争の腕を鍛えられたのもアリウスのおかげなんだし。個人的にアリウス好きです。

イスラエルに戻ったジュダはメッサラと戦車競争勝負! まさにクライマックス! スペクタクル! しかしメッサラに勝ったものの、母と妹は業病になっていた。ここから話が妙な方向へ…。面白かった復讐劇が宗教映画になっちゃう。

子どもの時よく分からなかったのがジュダの母と妹の業病が何で治っちゃったの?でした。キリストの奇跡だってことは分かってたけど、子どもの目から見てもあまりにも都合よすぎで不自然だった。しかもキリストはジュダの心の迷いも悩みもきれいさっぱり消してしまう。いやいや待て、何があっても最後は全部神様が消し去ってくれるならジュダのこれまでって一体…。

結局のところ、これはキリストの物語でありキリストの奇跡に感動するための映画だったと大人になってから分かる。しかし信者でない人間には宗教色が強すぎに感じる。キリストは出てきてもいいけど、ジュダが自分で憎しみの愚かさに気付ける話だったらもっと感動できてただろうなと思います。戦車競争までは良かっただけにそこが残念。