ビリー・ザ・キッド / 21才の生涯
年 | 1973年 |
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時間 | 108分 |
監督 | サム・ペキンパー |
1881年のアメリカ、ニューメキシコ。ならず者が集う町フォートサムナーにかつてビリーの親友だったパット・ギャレットが保安官になってやって来る。ギャレットはビリーを無法者として逮捕しようとするがビリーは逃亡、逃げるビリーと追うギャレットの攻防が始まる。西部開拓時代のアウトロー、ビリー・ザ・キッドを題材にした西部劇。
子どもの時、親に連れられて見た映画。BSで流してくれたのを録画入手、懐かしの再開を果たしました。タイトルで思いっきりネタバレしてますが、西部劇のヒーローとして有名なビリー・ザ・キッドの最期を扱った作品です。ただ作中でも冒頭からギャレットのネタバレ回想みたいな形で入るので、そこはかまわないのかな(^^;。
子どもの時に見ても、主役のビリーが21才に見えなくて(もっとおじさんに見えた)困った記憶が(笑。今見直してみても21才にしては落ち着きと貫禄があり過ぎだなあ、すごい大人の21才ですね。その分存在感はしっかりあるので、渋い大人のギャレットと渡り合うにはこれぐらいの落ち着きは必要だったのかもしれない…と脳内補完しておきます。
ビリー・ザ・キッドには色々な伝説がありますが、今作は伝説が語る英雄像ではなく、1人の人間としてのビリーをデフォルメせずに真面目に淡々と描く作風になってます。だから西部劇らしい銃の攻防戦もあるけど、現実離れするような演出は行われてません。ガンアクションと言うよりは、むしろビリーとギャレットの友情と葛藤を中心にした人間ドラマ。
それでもスーツにガンベルトを決めて登場する保安官を見ると素直にかっこいいと思う。役者たちが普通に動くだけで西部開拓時代の空気を感じさせてくれるのが西部劇系映画のいいところ。七面鳥を追うシーンもいい。1973年に制作された映画ならではの味わいもあります。ちなみに音楽を担当したのはボブ・ディラン。
<ネタバレ>
元はビリーの親友で無法者仲間だったギャレットが保安官になったのは、その背景に時代の移り変わりがあるからですね。無法地帯だった自由な西部にも法の規制が入ってきた。ギャレットは時代の流れに乗った。ビリーは法で押さえつけようとする権力者に対して自由でいることを選んだ。だから法の側になったギャレットは法に従わないビリーを逮捕しなければならない。しかし西部の町の人々は金持ちや権力者のための法より自分たちが望む自由の側にいるビリーを選ぶ。ビリーとギャレットを襲う軋轢はそのまま開拓時代の終わりを迎えようとしている当時の西部の姿にもなっていたのではと思うのでした。
いったんは逮捕されるもトイレに隠した拳銃で逃げ出すビリー。ギャレットはビリーにメキシコへ行くことを勧めていたが(国境を越えてくれればギャレットもビリーを逮捕せずに済む)、ビリーは放浪するも結局はフォートサムナーに戻って来る。知り合いが権力者に痛めつけられ殺されたのを見て自分だけ逃げるわけにはいかないと思ったのだろう。ギャレットがビリーを追うのに七週間もダラダラと時間をかけたのは、やっぱり心の底にビリーを逮捕したくない気持ちがあったからでしょうね。しかしビリーが戻ってきたことで運命と対峙しなければいけなくなる。
任を果たしたギャレットはビリーの体から指を切り取ろうとする保安官助手を殴り飛ばし、鏡の中の自分を撃つ。翌朝、フォートサムナーを去るギャレットの後ろ姿に向かって子どもが石を投げる。見た当時は子どもだったので難しいことは分からなかったが、ビリーが町の人たちに慕われていることは分かった。だから私もビリーを殺したギャレットを憎いと思い、映画の石を投げる子どもと気持ちがシンクロした。おかげであのラストシーンは今でも鮮烈に記憶に残っている。
冒頭の1909年はその後のギャレット。今ならギャレットの複雑な心情も分かる。原題は「Pat Garrett and Billy the Kid」なので、実はギャレットが主人公なのですよね。見る者は冒頭でビリーとギャレットの運命を知ってしまう。知った上で始まる物語。これはビリーとギャレットの物語であると同時に、2人の運命を通して西部時代の終焉を描いた作品でもあるんですよね。