恋はデジャ・ブ
年 | 1993年 |
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時間 | 101分 |
監督 | ハロルド・ライミス |
天気予報官のウィルは今年もパンクスタウニーで行われるグラウンドホッグデーの取材に来る。飽き飽きした田舎の祭りの取材を終え帰路に着くが、吹雪で足止めになりもう1日パンクスタウニーに泊まることに。ところが、朝目覚めたら前日に戻っていた!? 毎日同じ2月2日の祭りを繰り返す日々。戸惑い、好き放題したり絶望したりするウィルだが、彼に再び"明日"はやってくるのか?
もし同じ1日を繰り返しループするようになったら…? これはそんな奇禍に遭遇してしまった男の物語。
天気予報官のウィルは自分ではスタータレントだと思っており高慢に振る舞う。だから好きな女性リタにも素直に接することが出来ない。パンクスタウニーの祭り取材も4年目で、もう飽き飽きしてやる気も出ず、レポートも適当に済ます。そんな状況の中で吹雪でパンクスタウニーに閉じ込められ、祭りの2月2日から抜け出せなくなってしまうのです。
最初は戸惑うも、何をしても翌朝には必ず2月2日に戻ることに気付いて、好き放題してみたり色々やってみるのですが、それも続くと飽きますよね。何をしても1日でチャラになるから、「何でも出来る」は「何も出来ない」と同じ。何回でも繰り返しやり直してリタを口説いてみても、朝になったら時間が戻ってリタは何も覚えていない。ウィルはどうすればいいのか?
タイムループものはパラドックスが出にくい代わりに、ループする時間で何をするのかがポイントになりますね。今作は素敵なラブストーリー。ウィルはループで何を得たか、どう変わったのか。それをコメディタッチで明るく楽しく、でも真剣なシーンではシリアスも忘れずにテンポよく描いてくれていて面白い。ほっこり出来るあたたかい作品です。
<ネタバレ>
高慢で自己中心的だったウィルは最初はループを自分の好き勝手に使う。犯罪しようが何しようが次の朝には元に戻っているのだから平気。死んでも同じ朝に戻って生き返る。だがやがてはその虚しさに気付いて、ループを自分のためではなく他人のために使うようになっていきます。同じ町で繰り返し過ごすうちに町の人々にも精通し、小さな事故やトラブルから町の人たちを救い続ける日々を送る。それはリタとの関係も変えていった。
そして高慢さから来る計画的な口説き作戦ではなく、素直に自然にリタと接するようになれたウィルはついにリタの愛を得、リタへの思いを遂げる。その時、時間は再び回り始めた。止まっていた時間は「毎日変わらない日々を繰り返し前へ進めなかった」ウィルの現状そのものを表していたのではないか。変わらなければ前(未来)に進めない。自分が変わることでループは終わるのだ。寓話としても成立するちょっと不思議なラブコメ。こういう作品、大好きです。
今作ではタイムループが起きた理由には触れられていませんが、この内容ならそれは気になりません。テーマはそこじゃないのが分かるから。グラウンドホッグデーで春の到来を占うウッドチャック(モグラ)の名前がウィルなのも主人公と引っかけてるのでしょうね。冬が続いたパンクスタウニーにも春が来る。ウィルたちと共に。"今"を慈しんで大切に生きようと思わせてくれた作品でもありました。